前澤友作

1975 -

スタートトゥデイ、ZOZO創業者

藤田晋

1973 -

サイバーエージェント創業者

三木谷浩史

1965 -

楽天創業者

豊田章男

1956 -

トヨタ自動車会長/社長

柳井正

1949 -

ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長

似鳥昭雄

1944 -

ニトリ創業者

松下幸之助

1894 - 1989

パナソニック創業

時代を継いで語られる

日本の代表的起業家

1890

1980

同時代の経営者たち

トヨタ自動車を率いる豊田章男が語る、仲間とともに未来を切り拓く姿勢を示す言葉。

未来はみんなでつくるもの

AKIO TOYODA

トヨタ自動車会長/トヨタ自動車

1956年

星座出版
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豊田章男
1956年 トヨタ自動車会長/トヨタ自動車
AKIO TOYODA

創業家に生まれるということは、栄光であると同時に、生涯背負い続ける重荷でもある。豊田章男――その名は、トヨタという巨大企業の歴史そのものと分かちがたく結びついている。創業者一族の御曹司として生まれながら、彼は決して恵まれた地位に安住しなかった。世界的な危機の渦中で社長の座に就き、満身創痍となりながらも会社を導いた。「未来はみんなでつくるもの」――その言葉に込められた思いを、彼の歩みからたどってみたい。

第一章
創業家の血を継いで

豊田章男は、トヨタ自動車の創業者・豊田喜一郎を祖父に持つ、創業家の一員として生まれた。自動車づくりに人生を捧げた一族の血を引くという事実は、幼い頃から彼の人生に大きな意味を投げかけていた。周囲の期待と、創業家という名の重圧は、物心ついた頃から彼の背に静かに乗せられていた。

しかし彼は、創業家の御曹司であることを、特権としてではなく、むしろ自らに課された責任として受け止めていった。トヨタという会社が、創業者の理想と、そこで働く無数の人々の汗によって築かれてきたことを、彼は深く理解していた。その歴史の重みを、彼は終生忘れることがなかった。

学業を終えた後、彼は海外でも経験を積み、世界の中でトヨタという企業がどう位置づけられているのかを肌で学んだ。創業家に生まれた者として、世界を相手に戦う覚悟を、彼は若いうちから固めていったのである。

創業家の人間であるという立場は、しかし、つねに彼を複雑な思いへと導いた。何をしても「血筋ゆえ」と見られ、努力も実力も正当に評価されにくい。そうした周囲の視線の中で、彼は自らの力を証明し続けねばならなかった。生まれによって約束された地位など何もない――むしろ人一倍働き、人一倍結果を出さねば認められないのだという覚悟が、若き日の彼を静かに鍛えていった。

第二章
現場から学んだ仕事

豊田章男がトヨタに入社して以降たどった道は、創業家の人間として特別扱いされるものではなかった。彼はさまざまな部門で経験を重ね、生産、販売、海外事業など、会社の多様な現場を渡り歩いた。机上の理屈ではなく、現場で起きていることをこの目で確かめるという姿勢を、彼はこの時期に培った。

トヨタには「現地現物」という考え方が根づいている。問題が起きたら、その場所へ足を運び、自らの目で現物を確かめてから判断する――この精神を、彼は身をもって体得していった。後に経営の頂点に立ってからも、現場を重んじる彼の姿勢は変わることがなかった。

また彼は、自動車そのものへの深い愛情を隠さなかった。運転すること、クルマを操る歓びを、彼は心から大切にした。経営者であると同時に、一人のクルマ好きであり続けたこと――それが、彼の経営判断に独特の温度を与えていた。

彼は自ら運転技術を磨き、テストドライバーとしてクルマの仕上がりを確かめることをいとわなかった。乗って、感じて、確かめる。数値だけでは捉えきれないクルマの良し悪しを、自分の身体で知ろうとしたのである。机上の管理者ではなく、現場とともに汗を流す経営者でありたい――その思いは、彼の言動の端々に一貫して表れていた。クルマを愛する者にしか分からない歓びを守ることが、彼にとっては経営の出発点でもあった。

第三章
危機の渦中での就任

豊田章男が社長に就任したのは、世界が大きな経済危機に揺れ、自動車産業全体が深刻な逆風にさらされていた時期であった。さらに就任後まもなく、大規模なリコール問題が世界規模で表面化し、トヨタは品質と安全をめぐって厳しい批判の矢面に立たされることになった。

彼は海外の公聴会の場に自ら立ち、世界に向けて会社の姿勢を語った。創業家の人間として、そして経営の最高責任者として、すべての責任を引き受ける覚悟を示したその姿は、多くの人々の記憶に刻まれた。逃げず、隠さず、正面から向き合う――その態度に、彼の経営者としての本質が表れていた。

この苦難の時期に、彼は改めて原点へと立ち返った。「お客様第一」「品質第一」という、トヨタが長年大切にしてきた価値を再確認し、会社の足元を固め直そうとした。危機こそが、彼を真の経営者へと鍛え上げたのである。

彼はまた、規模を追って急拡大したことへの反省を率直に口にした。会社が大きくなり過ぎて、つくる現場と使うお客様との距離が遠ざかってしまったのではないか――その問いを、彼は自らに突きつけた。台数や順位を競うのではなく、一台一台に心を込める原点へ戻る。逆境の中で得たこの確信は、その後の彼の経営の揺るがぬ土台となっていった。

第四章
挑戦する会社への変革

危機を乗り越えた豊田章男は、トヨタをより強く、よりしなやかな会社へと変えることに心血を注いだ。彼が掲げたのは、「もっといいクルマづくり」という、一見素朴でありながら奥深い目標であった。数字や規模を追うのではなく、心を込めて良いクルマをつくる――その原点に、彼は会社を立ち返らせようとした。

彼はまた、自動車産業が百年に一度といわれる大変革期を迎えていることを早くから訴えた。電動化、自動運転、つながる技術、新しい移動の形――そうした激動の中で、トヨタは単なる自動車メーカーから、人々の移動全体を支える存在へと進化しなければならないと彼は説いた。会社を「モビリティ・カンパニー」へと変えていくという構想を、彼は繰り返し語った。

変革を進めるにあたり、彼は社内に挑戦する文化を根づかせようとした。失敗を恐れて動かないことこそが最大のリスクであり、たとえ転んでも立ち上がって前に進むことが大切だと、彼は社員を鼓舞し続けた。巨大組織を、再び挑戦者の精神で満たそうとしたのである。

第五章
未来はみんなでつくるもの

豊田章男の信条を端的に表すのが、「未来はみんなでつくるもの」という言葉である。彼は、未来とは一部の天才や指導者が一人で描くものではなく、現場で働く一人ひとり、そして社会の多くの人々が力を合わせてつくり上げていくものだと考えていた。この言葉には、人を信じ、仲間とともに歩もうとする彼の姿勢が凝縮されている。

この信条は、彼の経営のあらゆる場面に通じている。良いクルマは、設計者だけでも、工場の作業者だけでも生まれない。販売の現場、整備の現場、そして部品を支える数多くの取引先――その総和としてはじめて一台のクルマが世に送り出される。彼が「みんなで」という言葉を重んじたのは、こうした協働への深い敬意の表れであった。

それは同時に、リーダーのあり方についての彼なりの答えでもあった。先頭に立つ者がすべての答えを握り、号令一下で人を従わせる――そうした旧来の指導像を、彼はとらなかった。むしろ、現場で働く一人ひとりが自ら考え、進んで動けるようにすることこそ、上に立つ者の役割だと彼は考えた。命じるのではなく、信じて任せ、ともに悩む。その姿勢が、変革の時代に挑む大組織を内側から温め、動かしていったのである。

また彼は、未来の社会の形そのものを、多くの人々とともに描こうとした。新しい技術を実際の街で試し、人と暮らしと移動が調和する社会を実証的に探る試みに、彼は積極的に挑んだ。未来を誰かに委ねるのではなく、自分たちの手で、みんなで形にしていく――その思想が、彼の挑戦の根底に流れていた。

「みんなで」という言葉には、トヨタが歩んできた歴史そのものが映し出されている。多くの人々の知恵と汗を一つに束ね、絶え間ない改善を積み重ねることで、トヨタは世界に伍する会社へと成長してきた。一人の天才の閃きではなく、現場に立つ無数の人々の地道な工夫の総和こそが、ものづくりを支える――その信念を、彼は創業以来受け継がれてきた精神の核心として、改めて言葉に込めたのである。

第六章
次代への継承

長く社長としてトヨタを牽引した豊田章男は、やがて会長へと退き、経営の第一線を次の世代へと託した。自らが社長として危機を乗り越え、変革の道筋をつけたうえで、若い経営者に未来を委ねるという決断には、世代を超えて会社を続かせようとする創業家らしい長い時間軸の思想が表れている。

彼が後進に伝えようとしたのは、単なる経営の技術ではなかった。お客様を大切にする心、現場を信じる姿勢、そして仲間とともに未来を切り拓こうとする精神――トヨタが守り続けてきた価値の核を、次の世代へと手渡そうとしたのである。会社という器は変わっても、その魂は受け継がれていかねばならないと、彼は信じていた。

会長となってからも、彼はクルマへの愛情と、ものづくりへの情熱を失わなかった。経営の言葉だけでなく、自らがクルマを愛する一人の人間として語り続ける姿は、社員にも、世のクルマ好きにも、変わらぬ親しみをもって受け止められている。

彼が次代に重ねて説いたのは、特定の技術だけに賭けるのではなく、お客様や地域の事情に応じてあらゆる選択肢を磨き続けるという現実的な姿勢であった。世界には、さまざまな暮らしと事情を抱えた人々がいる。誰一人取り残さずに、より良い移動を届けたい――その思いから、彼は単一の正解を押しつけるのではなく、多様な道を同時に追い求めることの大切さを、後進へと伝えていった。

第七章
遺したもの、そして現在地

豊田章男が遺したものは、危機を乗り越えた実績や、変革への道筋だけではない。むしろ最も大きな遺産は、巨大企業に再び「挑戦する心」と「人を信じる文化」を吹き込んだことにあるだろう。数字や効率に偏りがちな大組織の中で、彼は人の情熱とつながりこそが価値を生むのだと、行動をもって示し続けた。

創業家に生まれた重荷を背負いながら、彼はその責任から逃げることなく、むしろそれを力に変えて歩んだ。栄光と苦難の両方を引き受けたその姿は、組織を導くとは何かという問いに、ひとつの答えを示している。リーダーとは、すべてを一人で背負う者ではなく、皆の力を信じて引き出す者なのだと。

「未来はみんなでつくるもの」。この言葉は、いまもトヨタの内外で生き続けている。大変革の時代にあって、人と人とが力を合わせ、より良い未来を築いていく――その信念は、彼が次代へと託した最も大切な贈り物として、これからも静かに人々を導いてゆくにちがいない。

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