1957年 ソフトバンクグループ創業者/ソフトバンクグループ
MASAYOSHI SON
情報革命という言葉を、ひとつの信仰のように掲げ続けた経営者がいる。孫正義。佐賀の貧しい一隅から身を起こし、太平洋を渡り、コンピューターとインターネットの胎動を誰よりも早く嗅ぎ取った男である。「情報革命で人々を幸せに」――その一言を、彼は半世紀近く、自らの背骨として生きてきた。これは、時代を先取りしようとして幾度も賭け、幾度も傷つき、それでもなお遠い未来を見つめ続けた一人の起業家の物語である。
第一章
在日二世として育った日々
孫正義は一九五七年、佐賀県鳥栖市に生まれた。一家は在日韓国人であり、祖父が朝鮮半島から日本へ渡ってきた移民の家系である。幼い孫が育ったのは、無番地と呼ばれるような土地に建つ粗末な家であった。父は密造酒や養豚、のちに飲食業など、さまざまな商いに手を染めて家計を支えた。貧しさと、出自ゆえの差別のまなざしは、少年の心に深く刻まれた。
だが、その環境は孫から夢を奪わなかった。むしろ逆であった。彼は早くから、自分は何者かになりたい、世の中を大きく動かす仕事をしたいと願った。日本マクドナルドの創業者・藤田田の著書に感銘を受け、自ら面会を求めて教えを乞うたという逸話は、少年の並外れた行動力を物語っている。藤田から「これからはコンピューターの時代だ」と諭されたことが、後年の進路を決定づけたとされる。
出自に由来する葛藤は、長く彼に付きまとった。後に事業家として名を成してからも、本名である「孫」の姓を名乗り続けたことは、彼自身の矜持の表れであった。生まれの不条理に屈するのではなく、力で世界を変えてみせる――その意志が、十代の胸の内で静かに固まっていった。
少年の頃から、孫には桁外れの目標を掲げる癖があった。小さくまとまることを、彼は本能的に嫌った。人がせいぜい一年先を考えるところを、彼は十年、五十年先を思い描いた。後年、自らの企業を三百年続く存在にしたいと公言するその気宇壮大さは、すでにこの頃から芽生えていたといってよい。貧しさの底にいた少年が、なぜそれほど遠くを見ようとしたのか。おそらくそれは、現実があまりに重かったからこそ、夢だけは限りなく大きく持とうとした、彼なりの抵抗であった。
第二章
アメリカで見た未来
十六歳の孫は単身アメリカへ渡る。語学学校を経て高校に編入し、やがてカリフォルニア大学バークレー校に進んだ。広大で自由な国は、出自によって人を測ることをしなかった。彼はそこで、自分の能力だけで勝負できる場所を得た。
学生時代の孫は、すでに事業家であった。発明を志し、一日にひとつ発明を考えるという自らに課した習慣の中から、多言語に対応する音声翻訳機の試作につながるアイデアを生んだ。これを大学の研究者の協力を得て形にし、その特許をシャープに売り込んで、まとまった資金を得たと伝えられる。学生でありながら、ソフトウェアの輸入販売などの事業も手がけた。
だが彼を最も震わせたのは、一枚のマイクロプロセッサーの写真であったという。集積回路の拡大写真を目にした孫は、これこそが人類の未来を作り変えるものだと直感し、涙を流したと後に語っている。コンピューターという新しい知性の器が、世界をどれほど変えるか――その確信が、帰国後の彼のすべての行動の原点となった。
第三章
ソフトバンク創業と志の宣言
一九八一年、孫正義は日本に戻り、福岡でソフトバンクを設立した。当初の事業は、パソコン用ソフトウェアの流通であった。まだ家庭にコンピューターが普及する前夜であり、ソフトを供給する卸の仕組みもないに等しかった。孫はその空白に賭けた。
創業の逸話として広く知られるのが、わずか数名の社員を前にミカン箱の上に立ち、「我が社は五年で売上百億、いずれ一兆、二兆と数える企業になる」と豆腐を数えるように語ったという話である。あまりに大言壮語に聞こえたためか、初期の社員は去っていったとも伝えられる。だが孫にとって、それは誇張ではなく、本気で見ていた未来の景色であった。
ソフトの流通から、彼は出版へと事業を広げ、パソコン情報誌を相次いで創刊した。情報そのものを商いとする発想は、後の彼の歩みを貫く一本の糸となる。あらゆる事業を貫いていたのは、人と人、人と知識をつなぎ、その流れを速くすることで社会を豊かにするという一貫した思想であった。やがてそれは「情報革命で人々を幸せに」という、彼の生涯の旗印へと結晶していく。
第四章
インターネットへの大いなる賭け
一九九〇年代、インターネットの黎明にあって、孫は再び未来を先取りした。米ヤフーへの出資に踏み切り、日本においてヤフー株式会社を設立して、検索とポータルという新しい入口を日本社会に広めた。情報の海への扉を、彼は誰よりも早く開いてみせたのである。
二〇〇一年、孫は通信事業へと大胆に踏み込む。ADSLによる高速インターネット接続サービス「ヤフーBB」を、破格の低価格で世に問うた。街頭でモデムを無料配布するという破天荒な手法は、日本のブロードバンド普及を一気に押し進めた。だが先行投資はかさみ、巨額の赤字が続いた。会社は何度も危機に瀕し、孫自身も眠れぬ夜を重ねたという。
それでも彼は退かなかった。安く、速い回線をあまねく行き渡らせること。それは単なる商売ではなく、情報を万人のものにするという信条の実践であった。やがてブロードバンドは家庭に根を下ろし、日本のインターネット環境は世界でも有数の水準へと押し上げられていった。
この時期の孫の姿勢には、彼の経営の本質が凝縮されている。短期の損得ではなく、長期の社会的価値を見据えること。たとえ目先で巨額の赤字を抱えようとも、世の中の仕組みそのものを変える側に立とうとすること。批判や嘲笑を恐れず、自らが正しいと信じる未来へ向かって、孤独に賭け続けること。情報革命とは、彼にとって誰かが起こしてくれるものではなく、自らの手で起こすべきものであった。
第五章
通信帝国とArmへの飛躍
二〇〇六年、孫は携帯電話事業者ボーダフォンの日本法人を、当時としては国内最大級の規模で買収した。巨額の負債を抱えての決断であり、世間は無謀と評した。だが孫は、携帯端末こそが万人の手のなかのコンピューターになると見抜いていた。やがてアップルのiPhoneをいち早く日本へ導入し、ソフトバンクは移動通信の主役の一角へと躍り出る。
二〇一三年には、米国の通信会社スプリントを傘下に収め、日米をまたぐ通信事業へと版図を広げた。そして二〇一六年、孫は半導体設計の英アーム・ホールディングスを巨額で買収する。アームの設計は、世界中のスマートフォンをはじめあらゆる機器の頭脳に組み込まれている。あらゆるものがネットにつながる時代の、いわば心臓部を押さえる一手であった。
これらの買収はいずれも、目先の利益では測れない賭けであった。孫の頭にあったのは、つねに十年、三十年先の世界である。情報革命の主戦場が、パソコンから通信へ、そしてあらゆる機器が知性を持つ時代へと移りゆくことを見据え、彼はその要所に先回りして布石を打ち続けた。
巨額の負債は、絶えず孫への批判の的となった。借入に頼った拡大は危ういと、多くの専門家が警鐘を鳴らした。だが孫にとって、借金は恐れるべきものではなく、未来へ時間を先取りするための道具であった。明日訪れる革命に今日から備えるためには、手持ちの資金を待っていては間に合わない。リスクを引き受け、それを上回る価値を生み出すこと――その綱渡りの上で、彼は通信帝国を築き上げていった。
第六章
ビジョン・ファンドと未来への投資
二〇一七年、孫は巨大な投資ファンド「ソフトバンク・ビジョン・ファンド」を立ち上げた。十兆円規模ともいわれる前代未聞の資金を束ね、世界中の有望なテクノロジー企業へ投資する構想である。彼はもはや一企業の経営者ではなく、人類の技術的未来そのものに賭ける投資家へと自らを変えていった。
ファンドの航海は平坦ではなかった。投資先の不振や市況の急変により、巨額の評価損を計上する年もあった。孫は決算の場で、自らの失敗を率直に認め、深く頭を下げることも辞さなかった。勝ち続けることよりも、賭けることをやめないことを、彼は選んだ。
その投資哲学の核心には、人工知能こそ次の情報革命の主役であるという確信がある。AIが人間の知性を補い、医療を、移動を、暮らしのすべてを作り変える――その未来図を語るとき、孫の言葉は経営者というより、ひとりの夢想家のそれに近づく。だがその夢想こそが、半世紀にわたって彼を突き動かしてきた原動力であった。
孫はかつて、自分は登りたい山を決めれば人生の半分は決まる、と語ったことがある。どの高みを目指すかが定まれば、あとは道なき道を切り拓くだけだという。ソフトウェア流通からブロードバンド、通信、半導体、そして人工知能へ。一見すると脈絡のないこの遍歴も、情報革命という一つの山を、時代ごとに違う斜面から登り続けた軌跡として見れば、見事なまでに一本の線でつながっている。
第七章
残された志と現在地
孫正義の歩みは、つねに大言壮語と紙一重であった。だが彼は、語った夢を一つずつ現実に変えてきた。ミカン箱の上の宣言は、誇大妄想ではなく予言であったことを、その後の歳月が証明している。情報革命という一語に、彼はおのれの全生涯を賭けたのである。
彼の信条「情報革命で人々を幸せに」は、単なる企業理念の標語ではない。出自ゆえに苦しんだ少年が、技術の力によって人を生まれや境遇から解き放ちたいと願った、その切実な祈りそのものである。安く速い回線も、手のなかのコンピューターも、AIへの巨額の投資も、すべてはこの一念から放たれた矢であった。
志半ばを公言してはばからない孫は、いまもなお新しい賭けの只中にある。後継をめぐる議論や巨大な負債への懸念は、つねに彼に付きまとう。それでも彼は、三百年続く企業群を、人々を幸せにし続ける仕組みを残したいと語る。一人の人間の生涯を超えて未来へ続く志を打ち立てること――それこそが、孫正義という起業家が遺そうとしている、最も大きな事業なのかもしれない。
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