1944年 ニデック創業者/ニデック(旧・日本電産)
SHIGENOBU NAGAMORI
一個のモーターを世界の隅々まで届けることに、生涯を賭した男がいる。永守重信。京都の片隅に小さな会社を興し、ひとつの精密小型モーターを足がかりとして、世界有数の総合モーターメーカーを築き上げた。「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」――この三つの言葉に、彼の人生のすべてが凝縮されている。情熱と執念、そして人を育てることへの渇望。その軌跡をたどることは、戦後日本の起業家精神の一典型を見つめ直すことでもある。
第一章
丹後の貧家に生まれて
永守重信は、京都府の丹後地方に生まれ育った。家は決して豊かではなく、幼い頃から働くことの厳しさと、貧しさの中で生きる人々の姿を間近に見て育った。後年、彼が「貧しさは恥ではない、貧しさに甘んじることが恥なのだ」という趣旨の言葉をしばしば口にしたのは、この原体験に根ざしている。
少年の永守を支えたのは、母の教えであったと彼自身がたびたび語っている。人より早く起き、人より長く働き、人より努力する――そうした生活信条は、母の背中から学んだものであった。後に彼の代名詞となる猛烈な働きぶりの根は、すでにこの幼少期に芽生えていたのである。
彼はモーターというものに早くから魅せられた。電気で回転するこの小さな機械の中に、無限の可能性を見出していた。学校で学びながらも、いつかこの技術を自らの手で事業として開花させたいという思いを、心の奥に静かに育てていった。
幼少期に身につけた負けず嫌いの気質も、後の彼を語るうえで欠かせない。一度こうと決めたら、人がどう言おうと押し通す。試験でも勝負ごとでも、人に先んじることを何より好んだ。その性分は、長じてからの経営姿勢――誰よりも速く動き、誰よりも高い目標を掲げて諦めないという生き方へと、まっすぐにつながっていった。貧しさの中で培われた向上心は、彼の生涯を貫く太い背骨となったのである。
第二章
技術への目覚めと修業の日々
永守は工業系の学校で電気とモーターの技術を学び、卒業後は企業に身を置いて実務経験を積んだ。技術者として働く中で、彼は単に与えられた仕事をこなすだけでは満足できなかった。製品をどう設計すれば小さく、軽く、効率よくできるか――その問いを四六時中、頭の中で反芻し続けた。
この修業の時期に、彼は自らの強みと信念を固めていった。すなわち、小型で高性能なモーターにこそ未来があるという確信である。当時、大型のモーターは多くの企業が手がけていたが、精密な小型モーターの分野には、まだ大きな空白が広がっていた。永守はその空白に、自らの賭けるべき領域を見出した。
しかし、組織の中で働く彼には、自分の構想を思い通りに実現できないもどかしさが募っていった。やがて彼は決意する。自らの手で会社を興し、自らの信じる道を歩むほかに、真に納得のいく仕事はできないのだと。
第三章
日本電産の創業と苦闘
永守は仲間とともに、京都で日本電産を創業した。社員数名、間借り同然の小さな出発であった。世界市場を相手にすると公言する一方で、現実は受注も資金も乏しく、創業者みずから営業に駆け回り、図面を引き、夜を徹して働く日々が続いた。
創業まもない会社が大手と互角に渡り合うには、価格でも技術でもなく、まず「速さ」で勝つしかなかった。永守は顧客の求めに即座に応え、他社が一週間かかる仕事を数日で仕上げることで信用を勝ち取っていった。「すぐやる」という信条は、空疎な精神論ではなく、弱小企業が生き残るための切実な戦略でもあった。
海外の大手顧客に食い込むため、永守は自ら国境を越えて売り込みに歩いた。言葉も商習慣も異なる相手に、品質と納期で応え続けることで、小さな日本のモーター会社は少しずつ世界の取引先からの信頼を獲得していった。創業の苦闘は、彼の経営哲学を鍛え上げる鍛冶場であった。
コンピューターの記憶装置に使われる精密モーターの分野は、とりわけ大きな飛躍の足場となった。情報化の波が世界を覆いはじめた時代、データを読み書きする装置の心臓部には、高い精度と信頼性を備えた小型モーターが不可欠であった。永守はこの成長市場をいち早く見定め、技術と納期で世界の名だたる顧客の要求に応え続けた。時代の追い風を、彼は自らの執念で確かな実りへと変えていったのである。
第四章
飛躍――買収による成長
日本電産が世界企業へと飛躍する原動力のひとつは、積極的なM&A(企業の合併・買収)であった。永守は、経営に行き詰まった会社や事業を次々と傘下に収め、それらを立て直していった。多くの企業を再建したその手腕は、業界の内外で広く知られるところとなった。
彼の再建手法は独特であった。リストラによる人員削減に頼るのではなく、まず社員の意識を変えることから始めるという考えを彼は繰り返し説いた。掃除や整理整頓といった足元の徹底、無駄の排除、そして「やればできる」という気概の注入――こうした地道な改革によって、赤字企業を黒字へと転換させていった。
買収を重ねることで、日本電産は単なる小型モーターの専業メーカーから、幅広い製品群を擁する総合モーターメーカーへと姿を変えていった。ハードディスク駆動用の精密モーターから、家電、産業機械、そして自動車に至るまで、その事業領域は着実に広がっていったのである。
とりわけ自動車の電動化という巨大な潮流を、永守は早くから自社の次なる主戦場と見定めた。クルマが電気で走る時代になれば、その駆動の核を担うのはモーターにほかならない。世界が脱炭素へと舵を切る大変革の入口で、彼は車載用駆動モーターの開発と量産に経営の重心を移し、創業以来の技術を新たな時代へとつなげようとした。挑戦に終わりはない――その姿勢は、年齢を重ねてもいささかも衰えることがなかった。
第五章
三大精神――すぐやる、必ずやる、できるまでやる
永守の経営を語るうえで欠かせないのが、「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」という三大精神である。これは彼が社内に繰り返し説き、自らの行動でも示し続けた根本の信条であった。決断は速く、約束したことは必ず成し遂げ、そして成功するまで決して諦めない――短い言葉の中に、彼の仕事観の核心が結晶している。
「すぐやる」とは、機会を逃さぬための速さである。「必ずやる」とは、言葉を実行に移す責任である。そして「できるまでやる」とは、困難に直面しても投げ出さない執念である。永守はこの三つを、能力よりも大切なものとして社員に求めた。才能の差は努力と執念で埋められるというのが、彼の揺るがぬ信念であった。
この三つの言葉が単なる標語に終わらなかったのは、永守自身がそれを誰よりも体現してみせたからである。彼は朝早くから夜遅くまで働き、決断を先延ばしにせず、一度始めたことは結果が出るまで手を緩めなかった。経営者が口先で号令をかけるだけでは、組織は決して動かない。先頭に立って汗を流す者の背中こそが、人を動かす――その確信のもとに、彼は生涯、自らの信条を行動で証明し続けたのである。
彼はまた、情熱・熱意・執念という言葉や、知的ハードワーキングの重要性を好んで語った。長く激しく働くことを是とする姿勢には賛否があったが、その根底には、人は努力によっていくらでも伸びるという、人間への深い信頼があった。永守にとって経営とは、究極的には人をいかに育て、その潜在力を引き出すかという営みにほかならなかった。
採用の場面でも、彼の哲学は独特の形で現れた。学業の成績や経歴よりも、声の大きさや食べる速さ、あるいは粘り強さといった、本人の生命力や気概を重んじる選び方を試みたことは、しばしば語り草となっている。学歴に偏らず、努力と執念で道を切り拓く人間を見出したい――その思いの裏には、自らが何も持たぬところから這い上がってきた者ならではの、確かな実感が横たわっていた。経歴ではなく人物そのものを見る。それが、彼の人を見る目の核心であった。
第六章
教育への情熱と社会への展開
事業で大きな成功を収めた永守は、晩年、教育の分野へと情熱を注いでいった。私財を投じて大学の経営に関わり、技術者やリーダーの育成に力を入れたことは広く知られている。彼は、日本の将来を担う人材を育てることこそ、自らに残された最大の使命だと考えるようになった。
その教育観は、彼自身の人生をそのまま映している。学歴や生まれではなく、本人の努力と執念こそが人を伸ばす――そう信じる彼は、即戦力として社会で活躍できる実践的な人材の育成を重んじた。机上の知識だけでなく、現場で困難を乗り越える力を持った人間を育てたいというのが、彼の願いであった。
会社は後にニデックへと社名を改め、世界のモーター市場で確固たる地位を占める企業へと成長した。一個の小型モーターから始まった事業は、いまや人々の暮らしと産業のあらゆる場面を、目に見えぬところで支えている。
彼が育成にこだわったのは、未来の経営を担う人材だけではなかった。自らが第一線を退いた後も会社が成長を続けられるよう、後を託すにふさわしい経営の担い手をいかに見出し、いかに鍛えるか――承継という難題に、彼は晩年、正面から向き合うことになった。一代で築いた事業を、いかにして次の世代へと確かに手渡すか。創業者にとって最後の、そして最も難しい仕事に、彼は持ち前の執念をもって挑み続けた。
第七章
遺したもの、そして現在地
永守重信が遺したものは、巨大な企業や潤沢な資産にとどまらない。むしろ最も大きな遺産は、「やればできる」という精神を、無数の社員と、彼が関わった人々の心に刻みつけたことにあるだろう。困難を前にして立ちすくむのではなく、まず動き、やり遂げるまで諦めない――その姿勢こそ、彼が生涯をかけて伝えようとしたものであった。
一代で世界企業を築き上げた創業経営者として、彼の歩みは戦後日本の起業家精神を象徴している。何も持たぬ者が、情熱と執念だけを武器に、世界の頂を目指す。その物語は、時代を越えて多くの人を励まし続けるにちがいない。
「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」。この三つの言葉は、いまも企業の現場に、そして彼の教えを受けた人々の中に生き続けている。一個のモーターに賭けた男の信条は、回り続けるその小さな機械のように、静かに、しかし力強く、未来へと回転を伝えてゆくのである。
← スクロール / 矢印キーで読み進む
