1965年 楽天グループ代表取締役会長兼社長
HIROSHI MIKITANI
インターネットがまだ得体の知れない新技術であった時代に、日本の商いをその大海原へと船出させた男がいる。三木谷浩史。銀行員という安定した地位を捨て、わずかな仲間とともに立ち上げた小さな会社は、やがて多くの人々の暮らしに深く根を張る巨大な経済圏へと育っていった。「常に改善、常に前進」を信条に掲げ、立ち止まることをみずからに固く禁じてきた、この稀有な起業家の歩みを、ここに辿る。
第一章
神戸に育ち、世界に開かれて
三木谷浩史は一九六五年、兵庫県に生まれた。父は経済学者であり、学究の気風に包まれた家庭で育った彼は、幼少期に父の在外研究に伴って海外で過ごした時期もあったといわれる。早くから異なる文化や言語に肌で触れた経験は、後の彼の国際的な感覚の確かな素地となった。
学問を重んじる家庭にあって、三木谷は知への敬意と、物事を論理的に突き詰める姿勢を自然と身につけていった。一方で、彼は机上の学問にとどまらない行動への意欲をも併せ持っていた。考えるだけでなく、実際に動かし、形にする。後年の彼を特徴づけるこの実践への志向は、青年期からすでに芽生えていたのかもしれない。
一橋大学商学部に学んだ三木谷は、卒業後、日本興業銀行に入行する。当時の都市銀行は、優秀な若者が集う花形の職場であった。彼はそこで金融の実務を着実に身につけ、やがて米国の大学院へ留学し、経営学修士の学位を得る。エリート銀行員として申し分のない道を歩んでいた彼の人生は、しかし、ある出来事を境に大きく向きを変えることになる。
第二章
震災と決意、独立への道
一九九五年、阪神・淡路大震災が故郷神戸を襲った。三木谷自身が後に語るところでは、この未曾有の災害は彼の人生観に深い影響を与えたという。当たり前と思っていた日常がいかに脆く、はかないものか。そして人は、一度きりの生をいかに悔いなく生きるべきか。安定した地位にとどまり続けることへの問いが、彼の中で日に日に大きく膨らんでいった。
親しい人々を失う痛みのなかで、三木谷は人生の有限性をまざまざと突きつけられた。やりたいことがあるならば、安全な場所で先延ばしにしている時間はない。この切実な思いが、彼の背中を強く押した。安定を捨てる恐れよりも、挑まずに終わる後悔のほうが大きい。そう見定めたとき、彼の進むべき道は定まっていた。
ほどなくして三木谷は銀行を退職し、独立の道を選ぶ。安定した将来を捨てての決断は、周囲の多くを驚かせたに違いない。だが彼の目には、当時急速に広がりつつあったインターネットという新しい技術が、商いのあり方を根底から変えうる、またとない可能性として映っていた。誰もがその真価を測りかねていたこの未踏の領域に、彼はみずからの未来のすべてを賭けたのである。
第三章
楽天市場の創業と苦闘
一九九七年、三木谷はわずかな仲間とともに会社を設立し、インターネット上の商店街「楽天市場」を立ち上げた。当初の出店はごく少数にすぎず、社員も数えるほどであった。オフィスも決して立派なものではなかったと伝えられる。インターネットで物を買うという習慣がまだまるで根づいていなかった時代に、彼の挑戦はあまりに早すぎるとも見えた。
当時、電子商取引といえば、大資本が高価な仕組みを構築するものという見方が支配的であった。だが三木谷は、その常識に逆らった。簡素で扱いやすい仕組みを安価に提供し、小さな商店でも気軽に出店できるようにする。技術を持たぬ商人にこそ、インターネットという新しい売り場を開いてやる。その発想が、後の楽天の急成長の種となった。
三木谷が描いた仕組みには、独自の思想があった。店を出す側が自らの手で商品ページをつくり、客と直接に言葉を交わせるようにする。画一的な売り場ではなく、個々の店の個性と熱意が伝わる場をつくること。売り手の顔が見える商いをインターネット上に再現しようとしたこの設計が、楽天市場を他の無機質なサービスから際立たせた。
出店者を一軒ずつ訪ね、その魅力を引き出し、ともに売上を伸ばしていく。地道な営業と支援の積み重ねによって、楽天市場は少しずつ着実に店舗数を増やしていった。創業の苦闘期に培われた、出店者と二人三脚で成長するというこの姿勢は、その後の楽天という企業の文化の、揺るがぬ根幹となった。
第四章
経済圏という構想
二〇〇〇年代、インターネットの急速な普及とともに、楽天は目覚ましい成長を遂げる。三木谷は電子商取引の枠にとどまることなく、事業の裾野を大きく広げていった。金融、旅行、通信、そしてプロスポーツに至るまで、人々の生活のさまざまな場面に、楽天のサービスが次々と入り込んでいった。
この大胆な多角化を貫いていたのは、一つの壮大な構想であった。個々のサービスを別々に営むのではなく、共通の仕組みでゆるやかに結びつけ、利用者が楽天の世界の中で日々の暮らしを完結できるようにする。買い物で貯まった点数を旅行や金融にも使えるようにすることで、人々は自然と楽天の各サービスを行き来するようになった。後に「楽天経済圏」と呼ばれるこの広大な生態系は、彼の長期的な戦略の見事な結実であった。
二〇〇四年には、プロ野球の球団を新たに設立し、地域に根ざした事業へと踏み出す。新興のインターネット企業が国民的娯楽の世界へ参入したこの一手は、楽天という名を一気に広く社会へ知らしめると同時に、三木谷の挑戦の幅広さと大胆さを象徴する出来事となった。スポーツを通じて地域とつながり、ブランドへの愛着を育む。その狙いもまた、経済圏の構想と深く通じていた。
第五章
常に改善、常に前進
三木谷の経営哲学を最もよく表す言葉が、「常に改善、常に前進」である。彼はこれを楽天主義と呼び、組織の隅々にまで浸透させようとした。そこに完成や満足という終点はない。今日のやり方は明日にはより良く更新されているべきであり、わずかな改善を絶え間なく積み重ねることが、やがて大きな飛躍へとつながると彼は固く信じた。
この信条は、英語で言えば物事を確実にやり遂げること、すなわち成果を出し切るまでやり通す姿勢とも分かちがたく結びついている。三木谷は構想を雄弁に語るだけの経営者ではなかった。それを現実の成果へと結実させることに、彼は徹底して執着した。掲げた目標から逆算し、達成のために必要なことを一つひとつ着実に実行していく。改善と前進を日々の習慣にまで落とし込むことこそが、楽天の成長を支える厳格な規律であった。
三木谷はまた、数字と事実に基づいて物事を判断することを重んじた。感覚や慣習に流されず、結果を測り、検証し、次の改善へとつなげる。この絶え間ない循環を組織の文化として根づかせることに、彼は心血を注いだ。小さな前進の積み重ねが、いつしか他を圧する大きな差となる。それが彼の信じる成長の方程式であった。
彼の前進への強い意志を象徴するのが、社内公用語を英語とするという決断であった。世界の舞台で戦う企業を目指すならば、言語の壁を自らの手で取り払うべきだという信念のもと、彼はこの大胆きわまる改革に踏み切った。慣れ親しんだやり方に安住せず、必要とあれば自社の文化や慣習さえも作り変える。その徹底ぶりに、立ち止まることを決して許さない彼の哲学が、色濃くにじんでいる。
第六章
通信への挑戦と世界への視座
三木谷の前進は、とどまるところを知らなかった。やがて彼は携帯電話事業という、巨大な資本と高度な技術を要する難関へと挑む。既存の大手が長年にわたって支配してきたこの市場へ、新たに参入することは無謀とも評された。しかし彼は、新しい技術を用いて通信の常識を覆す可能性に賭け、巨額の投資を続けながらこの困難な挑戦に臨んだ。
この通信事業は、楽天経済圏をさらに広げるための、要となる位置を占めるものであった。買い物、金融、そして通信。人々の暮らしを支える基盤を一つの圏域のなかに束ねるという、創業以来の壮大な構想の延長線上に、この挑戦はあった。困難を承知のうえであえて未踏の領域へ踏み込んでいくその姿は、まさに「常に前進」という彼の信条そのものの体現であった。
巨大な投資を伴うこの挑戦は、時に厳しい逆風にもさらされた。だが三木谷は、目先の安定よりも長期の成長を見据える姿勢を崩さなかった。一度掲げた構想を、困難を理由に途中で投げ出すことを彼はよしとしなかった。やり遂げるまでやり通す。その執念が、彼を新たな難題のただ中へと向かわせ続けた。
三木谷はまた、日本企業や経済界のあり方についても積極的に発言し、新しい産業が芽吹き育つための環境づくりに力を注いできた。日本発のインターネット企業が、世界の舞台で確かな存在感を示すこと。それは一企業の利益を超えた、彼の長年にわたる問題意識であり、変わらぬ志でもあった。
第七章
遺しつつあるもの、そして現在地
小さな商店街から始まった楽天は、今日では多様な事業を抱える巨大な企業集団へと成長を遂げた。インターネットで物を買うことがごく当たり前になった現代の風景は、三木谷をはじめとする先駆者たちの、早すぎるほどの挑戦の上にこそ成り立っている。日本の電子商取引の礎を築いた彼の功績は、もはや揺るがぬものである。かつて誰もが半信半疑であった電子の商いを、生活に欠かせぬ当たり前の営みへと変えたこと。その地ならしの労苦は、便利さに慣れた今日ではかえって見えにくくなっているのかもしれない。
壮大な構想に伴う困難もまた、彼の歩みには常に付きまとってきた。新規事業への巨額の投資は、しばしば市場の厳しい評価にさらされてきた。だが三木谷は、目先の安定よりも長期の前進を選び続けてきた経営者であった。改善と挑戦をやめた瞬間に、企業の成長は止まる。その信念が、彼を絶えず次なる難題へと向かわせてきたのである。
一人の銀行員が安定を捨て、未知の技術に自らの未来を託したことから、この物語は始まった。「常に改善、常に前進」という信条を生涯の指針とし、立ち止まることなく走り続ける三木谷浩史。彼が遺しつつあるのは、巨大な経済圏という事業そのものだけではない。挑み、改め、そして前へ進むという起業家精神そのものを、彼は次の世代へと確かに手渡そうとしているのである。
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