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稲垣 保
千葉県
税理士

「可視化会計」を提唱する人。昭和の財布で、会社を見る。「可視化会計」という、お金の見方。見えているお金と、見えていないお金。

第一章
黒字は、まだお金じゃない

黒字倒産という言葉がある。利益は出ている。決算書の上では黒字である。それなのに、会社が倒れる。しかし私は、その言葉にずっと違和感を持ってきた。本当に会社に利益の金が残っているのなら、会社は簡単には倒れないはずである。倒産するということは、表示されていた黒字が、経営者にとって本当に使える利益ではなかったということではないか。

私は、長く中小企業の数字を見てきた。決算書には利益が出ている。税金も払っている。ところが社長自身は、いつも資金繰りに追われている。通帳を開くと、思っていたほど金が残っていない。このとき社長は、こう考える。「うちの会社は、本当に儲かっているのだろうか」。この疑問は、決して間違っていない。むしろ、そこにこそ経営の本質がある。

会社の通帳に一千万円があるとする。だが、その一千万円は本当に会社の貯蓄なのだろうか。自分で稼いで残した利益の金なのか。それとも、銀行から借りた金が一時的に残っているだけなのか。これから仕入れ先に払う金なのか。税金として出ていく金なのか。同じ一千万円でも、その中身はまったく違う。ところが、通帳の残高だけを見ても、その金の正体は分からない。ここに、会社経営の怖さがある。

たとえば、会社が車を買ったとする。現金は出ていき、通帳の残高は減る。ところが会計では、減価償却というルールによって、数年に分けて経費として計上していく。会計の処理としては、それで正しい。しかし、社長の実感とはずれる。金は出ていった。なのに、損益計算書の利益はその分だけ減らない。借入金の返済も同じである。返済をすれば会社の金は出ていくが、会計上は負債が減ったと考える。社長が苦しむのは、まさにこの部分である。「利益は出ているはずなのに、なぜ金がないのか」。

だから私は、黒字倒産は黒字ではないと思っている。損益計算書の上では黒字でも、会社に本当に使える利益の金が残っていない状態なのだ。お金には、色がある。これは利益の金なのか。借金の金なのか。これから支払う金なのか。将来のために残しておける金なのか。その区別が見えなければ、会社の本当の姿はつかめない。可視化会計とは、その見えない金の動きを見えるようにする試みである。

第二章
利益は、使えなければ利益じゃない

利益という言葉は、会社が儲かっているかどうかを示す数字として、当たり前のように使われている。しかし私は、そこにずっと疑問を持ってきた。利益は、使えなければ利益ではないのではないか。これは、会計のルールを否定する話ではない。けれど、中小企業の社長が本当に知りたいのは、決算書の上で利益がいくら出ているかだけではない。その利益が実際に会社の中に残っているのか。これから使っていい金なのか。それとも、返済や税金や支払いで出ていく金なのか。

個人の家計で考えると分かりやすい。給料が入り、生活費を払い、最後に残った金が貯蓄になる。ところが、会社になると急に見えにくくなる。売掛、買掛、借入、返済、税金、減価償却といったものが入り込み、通帳の残高だけでは本当の貯蓄が見えなくなる。しかし、原理原則は個人と変わらない。稼いだ金で支払いを賄えているか。必要な支払いを終えたあとに、会社に本当に残る金があるのか。経営者が見なければならないのは、そこなのである。

一万円で仕入れた商品を一万五千円で売ったとする。単純に考えれば、五千円が儲けである。では、その一万円の仕入れ代金は、どこから出てきた金なのか。自己資金か。借りた金か。まだ支払っていない買掛金か。ここを見なければ、本当の意味で会社の儲けは見えてこない。ここで「お金に色をつける」という発想が必要になる。通帳の数字は同じ一千万円でも、その中身は違う。だから社長は、自分でその色を見分けなければならない。

今の会計が間違っているということではない。問題は、その会計だけで中小企業の社長が経営判断をしようとすると、見えないものが出てくるということだ。上場会社のように株主に説明するための会計と、中小企業の社長が明日も会社を続けるために見るべき会計は、目的が少し違う。中小企業に必要なのは、配当のための会計だけではない。生き残るための会計である。

私が可視化会計で見ようとしているのは、まさにそこだ。会計を難しくするためではなく、会社の貯蓄を見えるようにするための会計である。利益のお金と借金のお金を分けて見る。使っていい金と、出ていく予定の金を分けて考える。そのために、会計をもう一度、経営者の手元へ戻す必要がある。利益は、使えなければ利益じゃない。その当たり前の感覚を取り戻すことが、会社を守る第一歩なのである。

第三章
その発見は、昭和の現金感覚から生まれた

私が生まれ育ったのは、千葉県の旧山武郡、現在の横芝光町にあたる地域である。成田空港から車で二十分ほどの場所だが、私の記憶にある故郷は、山側にある田舎の風景である。子供の頃の原風景として浮かぶのは、山遊びである。霞網で鳥を捕まえたり、木ネズミの赤ちゃんを育てたりすることもあった。自然との距離は、それだけ近かった。

ただ、私はその山遊びが、今の仕事に直接つながっているとは思っていない。きっかけはもっと現実的なところにあった。それは、高校進学である。私は商業高校に進み、そこで簿記に出会った。簿記を教えてくれた先生が、私にとってはとても良い先生だった。その出会いがあったから、私は簿記を一生懸命勉強するようになった。商業高校を選んだのは、中学の頃に腎臓の病気を患い、力仕事につながる工業高校より商業系の方がいいと考えたからだった。望んで選んだというより、事情に押されるようにして選んだ道だった。

高校を出たあと、私は一度、東芝系の会社に就職した。それでも、働く中で次第に税理士という資格を意識するようになっていった。会社にすべてを預けるのではなく、自分自身の中に、これで生きていけるものを持つ。「手に職をつける」という感覚が、当時の私の中にもあった。私はその後、大学に戻り、働きながら夜間の専門学校に通って税理士試験の勉強を続けた。だが、現実にはそれで簡単に結果が出るほど、試験は甘くなかった。

なかなか合格には届かない。結局、私は仕事を一度辞めて、試験勉強に集中することにした。その年、私は四科目を受験し、三科目に合格することができた。それまで本当に税理士になれるのかという不安もあったが、「これなら何とかなるのではないか」と思えるようになった。私はこの経験から、努力とは、ただ長く続ければいいものではないと思うようになった。落ち続けた人間に必要なのは、根性だけではなく、勝ち方を変えることなのだと思う。

その後、私は会計事務所で約九年働くことになる。決算書を作り、税務申告を行い、会社の数字を見続けた。会社というものが、日々金を動かし、人を雇い、支払いを続けながら生きているものだということを肌で知っていった。しかし、その働き方は楽ではなく、やがて私は突発性難聴を経験する。私の会計への考え方は、机の上の理論だけで作られたものではない。現金が入り、出ていき、最後に何が残るのかを考える感覚は、そうした積み重ねの中で少しずつ育っていった。

第四章
バブル、相続対策、そして「危ない会計」との遭遇

会計事務所で約九年働いたあと、私はそれまでとは少し違う場所へ移ることになった。きっかけのひとつは、突発性難聴である。耳鳴りが残るようになると、このまま同じ働き方を続けていくのかを考えざるを得なくなった。ちょうどその時期、日本はバブルへ向かっていた。土地の価格が上がり、世の中全体に金が回っているような空気があった。今から振り返れば危うい熱気だったが、その中にいると、それが時代の勢いにも見えた。

その熱気は、私の仕事にも思わぬ形でつながっていく。ある不動産会社が、相続対策の部門で税理士資格を持つ人間を探していた。私はその会社に移ることになった。会計事務所にいた頃、仕事の中心は申告だった。しかし、相続対策の現場に入ると、求められるものはそれだけではなかった。相手が何に困り、何を守ろうとしているのかを聞き取り、総合的に提案する必要があった。会計とは、ただ帳簿をつけるだけのものではない。金がどこに流れ、人が何を守ろうとするのか。そのすべてが、数字の裏側にあった。

当時は、節税や相続対策が過熱しすぎていた面もあった。ある対策が使われると、翌年以降に税制改正でその穴が塞がれる。すると、また別の対策を考える。大変な時代だったが、会計や税務の裏側を学ぶには非常に濃い時代でもあった。やがて、ある案を聞いたとき、私は「これはやらない方がいい」と感じたことがある。制度の趣旨から外れていくような感覚があった。税理士の仕事には、知識だけでなく判断がいる。形式上通るかどうかだけを見ていると、見落とすものがある。

私はそのとき、自分の中に線を引いたのだと思う。どこまでなら進むのか、どこから先はやらないのか。その線がなければ、会計も税務も、ただの抜け道探しになってしまう。数字に強いことは大切だが、数字を使って何をするのかを誤れば、その強さは危うさにもなる。やがてバブルは崩れていく。時代の熱が引いていくと、膨らんでいた数字の中に、どれだけ実体があったのかが見えてくる。

私自身も自然な流れの中で独立へ向かうことになった。独立したのは、一九八九年十二月である。私は有限会社マーフシステムを設立し、稲垣税務会計事務所を開設した。バブルは、私に会計の表側だけでなく、裏側を見せてくれた。決算書に並ぶ数字の奥には、人の欲望があり、不安があり、制度の変化があり、時代の熱がある。数字は、表面だけを見ていても分からない。

第五章
お金に色をつけるなら

平成八年、私の考え方を大きく変える出来事があった。東京の中野サンプラザで開かれた、資金会計のセミナーである。会場には、税理士や公認会計士が三十数名ほど集まっていた。私もその一人として席に座っていた。会計については、それなりに分かっているつもりでいた。ところが、その場で最初に投げかけられた問いに、私は何も答えられなかった。「お金に色をつけるとしたら、何色と何色につけますか」。

一瞬、会場の空気が止まった。お金に色をつける。そんなことを、私はそれまで考えたことがなかった。お金はお金であり、通帳に入っていれば同じ数字として見える。だからこそ、その問いが何を意味しているのか、すぐには理解できなかった。私だけではない。参加者の多くも黙っていた。会計や税務の専門家が集まっているにもかかわらず、誰もすぐに答えられない。その沈黙が、今でも印象に残っている。

その先生は、具体的な例を使って説明してくれた。一万円で買った商品を一万五千円で売る。入ってきた一万五千円の中にあるお金は、すべて同じ意味を持つのか。仕入れに使った一万円を回収した部分と、利益として残った五千円は、本当に同じ色のお金なのか。その一万円が自己資金だったのか、借入金だったのかによって、会社の状態はまったく変わってくる。私は、自分がこれまで見ていた会計の数字が、いかに表面だけのものだったのかを考えさせられた。

そのセミナーは、一度聞いただけで分かるものではなかった。ある九州の税理士から「一回では絶対に分からない」と言われたことも印象に残っている。三回聞いても、分かったというより、むしろ分からなさが深くなっていった。けれど、その分からなさが面白かった。なぜ会計の専門家である自分たちが、この問いに答えられなかったのか。その疑問が、私の中に残り続けた。

後に私は、金子利男先生の『会計の悲劇』にも触れることになる。第一貨幣、第二貨幣、可視化貨幣、不可視化貨幣。言葉は難しく見えるが、根にある問いは同じである。会社の中にあるお金は、本当に見えているのか。平成八年、中野サンプラザで聞いた一つの問いは、私が「本当の利益とは何か」を考え始める決定的な入り口だった。あのとき答えられなかった問いこそが、会社を守る会計の出発点になった。

第六章
未来の社長へ。まず、通帳を疑う

昭和という時代には、今よりも不便なことが多かった。支払いは現金が中心で、手元に金がなければ買えない。稼いだ金で払い、残った金を貯める。言葉にすれば単純だが、この単純さの中に、金を見るうえでの大事な原理があった。昭和を美化するつもりはない。けれど、不便だったからこそ、金が出ていく実感ははっきりしていた。

現代は、その感覚が見えにくくなっている。キャッシュレス決済、リボ払い、ローン。今払ったように見えて、実際には未来の自分が払うこともある。便利になったこと自体は悪いことではない。だが、その便利さの中で、「いま使っている金は、本当に自分の金なのか」という感覚が薄れていくことがある。これは、個人だけの話ではない。会社経営にも同じことが起きる。

会社を始めるとき、借入をすることは珍しくない。借入は悪ではない。正しく使えば、会社の成長を支える力になる。しかし、借りた金は、いずれ返さなければならない。借入金が入れば、通帳の残高は増える。見た目には会社に金があるように見える。だが、それは稼いで残した金ではない。つまり会社の預金残高には、利益のお金と借金のお金が混ざっている。この区別が見えなくなると、経営は危うくなる。

会社の貯蓄とは、ただ残高があることではない。借金を返し、税金を払い、必要な支払いを終えたあとにも、なお会社に残る金のことである。可視化会計の目的は、まさにそこにある。会社の預金残高の中に、利益のお金がいくらあるのか。それを見えるようにすることで、社長は初めて、自分の会社の本当の体力を知ることができる。中小企業の経営者に必要なのは、難しい会計用語を覚えることではない。利益のお金の動きを把握することである。

昭和100年という節目に、私たちが取り戻すべきものは、昔の根性論ではない。現金が出入りする実感であり、稼いだ金と借りた金を分けて見る感覚であり、会社に本当に残る金を見極める力である。会社は、思いだけでは続かない。良い商品があり、熱意があっても、金の流れが見えていなければ、その思いを続けることはできない。数字の奥に、会社の命がある。その命を守るために、社長はまず、自分の会社に残る金を見なければならない。

利益は、使えなければ利益じゃない。

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