東京都
元銀行員
製造業の会社を継いだ人。肩書きが消えても、食べていける人の共通点。会社が潰れた日、自分が残った。
第一章
会社が潰れた日、自分に何が残るか
仕事をしていると、誰もが一度は思う。自分はこの場所で、このままやっていけるのだろうか。会社は続くのか。肩書きに価値があるのか。それとも、肩書きがなくなった瞬間に、自分の値打ちまで消えてしまうのか。私は銀行員として働き、銀行の破綻も経験し、その後は製造業の会社を引き継いだ。いま振り返ると、仕事で本当に問われるのは、どの会社にいたかではない。どんな場面で、どう振る舞ったかだ。
私は、銀行員として特別な志を持って入ったわけではない。それでも縁があり、銀行に入った。新店舗に配属され、年金営業を任され、組合を背負い、銀行破綻の真ん中に立ち、支店長として不良債権の修羅場にも向き合った。銀行を辞めてからは、まったく別の業界で会社を動かすことになった。
私が伝えたいのは、時代が変わっても生き残る人間には、いくつかの共通した姿勢があるということだ。肩書きは変わる。会社名も変わる。業界も変わる。だが、どこへ行っても使える自分の型を持っている人間は、簡単には潰れない。その型は、特別な才能ではない。頼まれたことを入り口にすること、相手の困りごとを別の角度から見ること、動き出しを遅らせないこと、暗い場に感情の流れを作ること、怖いことを怖いまま抱え込まないこと、そしてゴールを早く閉じないことだった。
これからの時代、会社はさらに変わる。AIも入ってくる。昨日まで人がやっていた仕事が、明日には機械に置き換わるかもしれない。だからこそ、自分の仕事を会社の看板だけに預けてはいけない。看板の外に出たときにも残るものを、自分の中に持つ必要がある。これは昭和を生きた銀行員の回想ではない。令和を生きる人にこそ必要な、変化の中で自分を使い直すための話である。
第二章
頼まれごとは、才能の入り口だった
人生は、自分で選んだ道だけでできているように見えて、実際にはそうではない。人から声をかけられ、頼まれ、勧められ、ときには押し出される。私が銀行に入ったのも、まさにそういう入り口だった。大学のゼミの先生に、銀行へ行ってみないかと言われた。私はワンダーフォーゲル部でも、山の計画を立て、部員をまとめ、段取りをしていた。先生はそこを見ていたのだと思う。金融知識が豊富だったから勧められたのではない。人と関わり、場を動かすところに、何か向いているものを見たのだろう。
人に人生を決められたとは思わなかった。むしろ、期待されたと感じた。期待とは、命令とは違う。自分では見えていないものを、他人が先に見つけることがある。私はそこに乗ってみようと思った。
頼まれごとは、たいてい面倒である。それでも、頼まれるということは、少なくとも相手がこちらに何かを預けてもいいと思っているということだ。私は昔から、頼まれることが多かった。なぜそうなったのかを考えると、たぶん私は最初から否定しなかったのだと思う。「無理だ」「できない」と返す前に、まず聞く。なるほど、そういうことかと受ける。できるかどうかは、その後に考える。最初の反応が柔らかい人には、情報が集まる。情報が集まる人には、次の仕事が来る。
私は小さい頃から、人が喜んでくれることに強い手応えを感じていた。この感覚は、銀行員になってからも消えなかった。お客さんが喜ぶ。支店の仲間が助かる。組合員が安心する。規模は変わっても、根本は同じだった。自分で選んだ道だけが本物ではない。誰かに頼まれたことの中に、自分の才能の使い道が隠れていることがある。
第三章
売れない仕事は、問いを変えれば動き出す
営業で一番苦しいのは、売ろうとするほど相手が離れていくことだ。お客さんの側からすれば、銀行の目標など関係ない。自分に得があるか。不安が解消されるか。そこが見えない限り、人は動かない。
月島支店で年金営業を任されたとき、最初は完全に壁にぶつかった。お年寄りの家を回り、年金の振込先を変えてくれないかとお願いする。しかし、長年付き合っている銀行がある人たちが、若い銀行員の一言で簡単に変えるはずがない。断られる毎日だった。そこで本屋で年金の仕組みを調べると、もらい忘れている年金があることを知った。戦時中に軍事工場で働いた期間を申告していないために、本来受け取れる年金を受け取っていない人がいる。
それまでの問いは、「年金をうちの銀行に移してくれませんか」だった。これでは銀行側の都合でしかない。問いを変えた。「もらい忘れている年金はありませんか」。この一言で、話の場面がまったく変わった。お客さんは売り込まれているのではなく、自分が損をしているかもしれないことを教えられている。五年分さかのぼって百万円、二百万円が振り込まれることもあった。営業の突破口は、商品を変えることではなく、問いを変えることにあった。
次に転勤した鬼越支店では、その成功体験が使えなかった。お年寄りが少ない。そこで地域を見ると、住宅ローンに苦しむ家庭が多かった。私はお客さんを、住宅ローンに力を入れていた提携先の太陽神戸銀行につないだ。借り換えで毎月の返済が下がる。お客さんは助かり、提携先は実績が上がり、うちの銀行には減った返済分を積立にしてもらう。自分の銀行の商品だけで完結させようとはしなかった。
麻布では相続税が問題だった。私は公認会計士を連れて訪問した。自分だけで解決しようとしない。必要な専門家を連れていく。すると、数回しか訪問していない私に、十四億円の預金の話が来た。困りごとに対する動き方が違ったからだと思う。営業とは、お願いする仕事ではない。相手の生活の中に眠っている未処理の問題を見つける仕事だ。問いが変われば、仕事は変わる。
第四章
情報は、悩みの中に落ちている
仕事に使える情報は、きれいに整理された形では出てこないことが多い。むしろ、お客さんの何気ない一言、面倒だから後回しにしている話、誰にも相談していない困りごとの中に落ちている。こちらの用件だけを済ませて帰ると、情報は入ってこない。世間話をし、最近困っていることを聞くと、ふとしたところから大事な話が出てくる。
ただし、聞くだけでは足りない。「それならこういう人を連れてきましょう」「この手続きを調べてみます」と返せば、相手は自分の話が前に進んだと感じる。話が前に進む人には、さらに情報が入ってくる。情報は、動かす人のところに集まる。私は、自分で全部解決しようとはしなかった。税務なら会計士を、住宅ローンなら提携銀行を使う。情報は一人で抱え込むより、適切につないだ方が大きくなる。
ここで大事なのは、雑談を軽く見ないことだ。雑談とは、相手の生活がにじみ出る場所である。銀行の窓口で見えるのは通帳の数字だけだが、外に出て話を聞けば、その数字の背景が見える。仕事ができる人は、情報をたくさん持っている人だと思われる。しかし本当は、情報の芽を見逃さない人だと思う。お客さんの小さな不満を聞き流さない。自分の担当外だと切り捨てない。そういう姿勢があると、相手は「この人には話してもいい」と思う。
私は、銀行を辞めた後もこの感覚を使ってきた。製造業になっても、やることの根っこは同じだった。取引先が何に困っているのか。納期なのか、人手なのか、品質なのか。相手の言葉の中から、詰まっている箇所を見つける。情報は、困りごとの形で出てくる。それを拾える人が、次の仕事を作る。
第五章
返事が早い人間は、潰れない
仕事で信用される人とされない人の差は、最初から大きな実績にあるわけではない。小さな反応の速さに出る。相談したのに返事がない。できるのか、できないのかも伝わらない。そういう時間が続くと、信用は少しずつ削られていく。私は、完璧な答えを持っていなくても、まず返すことを大事にしてきた。「聞いた」「動く」「いつまでに返す」と伝えるだけで、相手の気持ちは違う。
志村三丁目支店でも、断ることの技術を学んだ。ある不動産会社で見せられた土地の案件は、旗竿地で担保に扱いにくく、融資は難しかった。私は早く、理由も示して断った。すると相手は、こちらを見る目を変えた。他の金融機関は時間をかけて最後に断ることが多かったからだ。早い断りは、信頼を失うどころか、相手に誠実さを伝えることがある。その後、その社長は本命の案件を出してきた。
速さは、雑さではない。速さとは、相手の不安を長引かせない態度である。だから速い人には、次の相談が来る。この速さは、銀行を離れてからも生きた。製造業の会社で、半導体工場向けのガス検知器の組み立てが間に合わないと言われ、奈良の現場に飛んだ。戻ってから一ヶ月で工場を借り、生産体制を立ち上げた。相手からは、豊臣秀吉の一夜城のようだと言われた。日頃から場所や人の情報を見ていたから、急に言われても動けた。
仕事で相手を安心させる方法は、意外と単純だ。早く聞く。早く反応する。できないことは早く言う。できることはすぐ始める。能力は一日では増えない。しかし、返事を早くすることは今日からできる。相手の時間を大事にする人は、相手からも大事にされる。
第六章
出世だけを見た人から、仕事がつまらなくなる
銀行には、出世を強く意識する人が多かった。上を目指すことが悪いわけではない。ただ、出世だけを仕事のものさしにすると、仕事そのものが小さくなる。評価ばかりを見ていると、上司の顔色が中心になる。お客さんの困りごとより、自分の人事評価。そうなると、目の前の仕事を面白がる力が失われる。出世の道が止まった瞬間に、仕事への熱も止まってしまう人を、私は何人も見た。
私は、出世に無関心だったわけではない。だが、それを第一目的にはしていなかった。今の仕事をどう面白くするか。どうすればお客さんが喜ぶか。そちらに意識が向いていた。だから、年金営業も相続の相談も、出世のための材料としてやっていたわけではない。やっている最中が面白かった。
審査部にいたとき、私はかなり厳しくしごかれた。しかし、その経験で融資を見る目は鍛えられた。ある部長は、過去の融資額を超えているかどうか、ピークアウトを重視していた。ならば、最初から一覧にすればいい。私は五年分の融資推移を表にし、ピークアウトが一目でわかるようにした。判断が早くなり、他の担当者も使うようになった。相手が面倒に感じているところを見つけ、少し先回りして形にすると、仕事は軽くなる。
頭取と労使協議会でぶつかったこともあった。若造が何を言うのかと思われたかもしれない。しかし、後に失敗できない新店舗の開設準備委員長に、私が選ばれた。表面上ぶつかっても、見る人は見ている。仕事は、評価されるためにやると息苦しい。評価は他人が決めるからだ。だが、仕事そのものを面白くすることは、自分でできる。出世は、結果の一つである。目的そのものではない。
第七章
暗い職場には、正論より「空気」が要る
組織が危なくなると、職場から笑いが消える。人は疑心暗鬼になる。自分の支店は残るのか。給料はどうなるのか。そういう不安が広がると、職場の力は一気に落ちる。このときに、正論だけを言っても人は動かない。方針は必要だが、方針だけでは人の気持ちは温まらない。
銀行が厳しい状況に入ったとき、私は組合の立場で職場を見ていた。戦うだけの組合では人が疲れてしまう。私は、組合を人の気持ちが流れる場所にしたかった。その一つが、感謝を込めたカードを渡す運動だった。誰かが明るく挨拶してくれた。忙しいときに声をかけてくれた。そういう小さなことを、言葉にして相手に渡す。職場の中に、感謝が目に見える形で流れるようにした。
カードを書くためには、相手を見なければならない。すると、これまで当たり前だと思っていたことが見えてくる。あの人の返事は気持ちがいい。あの人はいつも面倒な仕事を引き受けている。そういうものが言葉になると、もらった人だけでなく、書いた人の見方も変わる。スキーツアーもやった。ディスコを借り切ってダンスパーティーも開いた。人が横につながる機会を作る。その積み重ねが、いざというときに効く。
破綻が現実になるとき、組合大会は荒れた。怒号もあった。人生がかかっているのだから当然だ。私は、担当ごとの回答をすべて自分で引き受けることにした。私を責める人もいたが、別の組合員が「委員長がここまで言っているのだから、今はまとまろう」と言ってくれた。これは普段から職場の中に接点があり、感情の流れがあったからだ。人は正しい人についていくのではなく、信じられる人の言葉に耳を傾ける。暗い職場に必要なのは、正論を捨てることではない。正論が届くための温度を作ることだ。
第八章
守るべきは、会社じゃなく生活だった
銀行が破綻するとき、何を守るべきか。会社の名前か。経営陣の体面か。私は、そうではないと思った。守るべきものは、そこで働く人の生活だった。会社は形を変えることがある。だが、人が明日も働ける場所を失えば、その人と家族の生活が途切れる。
普通の組合なら、春闘で給料を上げろと要求する。だが、そのときの私たちは違う方針を出した。今は賃上げ要求をしない。まず銀行の存続を最優先にする。自分たちの要求を一度抑え、働く場所を守ることを先にする。これは簡単には受け入れられなかった。一度、組合の方針が否決されたこともある。私はもう一度、支店を回った。今は給料の要求より、働く場所そのものを守る局面だと説明した。再度大会を開き、方針を通した。
頭取から「みんなをまとめてくれ」と言われたとき、先が見えていたわけではない。ただ、できることを全部やるしかないと思った。職員の家族宛てに手紙を出した。働いている人の背後には、生活がある。全国の銀行員組合にも協力を求め、段ボール十箱分ほどの署名を大蔵省へ持っていった。金融専門紙の記者にも同行してもらい、外から見える形にした。働く人の声があることを、対外的に示す必要があった。
結果として、新しい銀行が作られた。名前は変わった。しかし、従業員と店舗はほぼそのまま残った。働く場所は守られた。会社を守るとは、会社名を保存することではない。そこで働く人が、次の朝も生活を続けられるようにすることだ。今の時代も同じだ。会社の形は変わる。仕事の一部はAIに置き換わる。古い形を守ることだけにしがみつくと、かえって人が苦しくなる。組織の本質は名前ではない。人が次へ進める場所を作ることにある。
第九章
怖い話ほど、笑え
仕事には、理屈だけでは片づかない場面がある。自分が決めたことではないのに、自分が矢面に立たされることもある。そういうとき、真正面から深刻に受け止め続けると、人は壊れてしまう。恐怖をなくすことはできない。だが、恐怖との距離を少し変えることはできる。
横浜支店長のとき、不良債権の案件があった。私は最初、相手と人間関係を作りながら返済の正常化を進めていた。ところが本部ではすでに不良債権買取機構に移す段取りが進んでいた。相手は怒った。後にその筋の人だとわかった。本部からは、本部の判断ではなく支店長の判断だと言え、支店で食い止めろという話になる。現場にいる人間からすれば、ずいぶんな話だ。
警察に被害届を出すことになった。家には大きな逆探知機が置かれ、防犯ブザーが送られてきた。夜中には警察が見回りに来る。守られているというより、何かあったときに対応したと言えるようにしているようにも見えた。怖くなかったわけではない。脅されている状態で生活しているのだから、平気なはずがない。だが、ずっと恐怖の中にいると、心がもたない。どこかで笑いに変える余地を残しておかなければならない。
笑うことは、軽く扱うことではない。恐怖や理不尽をなかったことにすることでもない。深刻な出来事に飲み込まれないための技術である。真面目な人ほど、全部を正面から受け止めようとする。しかし、人間には限界がある。恐怖は消えない。だが、笑いに変えられた瞬間、恐怖は少し小さくなる。自分の外側から眺められるようになる。ユーモアは、余裕がないときにこそ必要な、生き延びるための知恵である。
第十章
業界が変わっても、残る人間になれ
銀行を辞めたとき、私は慣れた世界を離れた。会社を辞めれば、その肩書きは外れる。自分が本当に何を持っているのかは、外に出て初めてわかる。四十代半ばで銀行を辞め、最初はペット関連の仕事を始めた。そんな中で、かつての取引先から声がかかった。総務を見ていた人が病気になり、週に一回でも手伝えないかという話だった。
最初は手伝いのつもりだった。ところが、その方が急に亡くなり、後を継ぐ人がいない。そこで私が引き継ぐことになった。銀行から製造業へ。まったく違う世界である。だが、不思議なことに、仕事の根本は同じだった。現場を見て、何が詰まっているのかを知る。自分にできないことは人に任せる。動きを止めない。専門性の前に、人と仕事を動かす基本がある。その基本は、業界が変わっても消えない。
取引先の理研計器から大きな相談が来た。半導体工場向けのガス検知器の需要が伸び、組み立てが間に合わない。私は奈良の現場に飛び、戻ってから一ヶ月で工場を借り、生産体制を立ち上げた。千台、三千台、五千台と話は広がり、会社の業績は大きく伸びた。役に立ったのは、銀行の専門知識ではなかった。急な相談にまず前に出ること。相手が本当に困っている箇所を見極めること。相手が想像しているより早く形にすること。これは、年金営業でも組合活動でも使ってきた感覚だった。
本当のキャリアは、場所が変わったときに残るものだと思う。会社名を外しても、誰かから声がかかる理由になるもの。それが、その人の本当の武器である。今の時代、同じ会社で一生を終える人は少なくなっていく。会社の中だけで通用するものしか持っていないと不安になる。だが、場所が変わっても使える型があれば、新しい場所でも自分を使い直せる。業界が変わることは、自分の過去が無駄になることではない。むしろ、過去の中から本質だけを取り出す機会である。
第十一章
ゴールを決めた人から、老けていく
人は、先が見えないと不安になる。はっきりしたゴールがあれば安心する。だが、私はゴールが見えない方が人は伸びることもあると思っている。最初から終点を決めすぎると、人はそこまでしか行かなくなる。学生時代、私は山登りをしていた。山は、仕事によく似ている。目の前には、一歩先の道しかない。そうして一歩ずつ進んでいくと、ある瞬間に景色が開ける。頂上に立って振り返ったとき、初めて自分がどれだけの道を歩いてきたかがわかる。
もちろん、ずっと前向きだったわけではない。なぜ自分だけこんなことをやらされるのかと思う場面もあった。ただ、そこで恨みにしがみついても、状況は変わらない。入り口を変える。見方を変える。これは災難なのか。それとも、自分を別の形で使う機会なのか。そう問い直すことで、足が一歩前に出る。
年齢を重ねると、人は自分のゴールを決めたくなる。それも一つの生き方である。しかし、私は一度そう考えたとき、情報のアンテナが下がるのを感じた。もう自分には関係ないと思うと、目の前の話が入ってこない。逆に、まだ次があると思っているときは、同じ情報が違って聞こえる。情報とは、外にあるだけでは意味がない。自分が受け取る姿勢を持って初めて、情報になる。ゴールを閉じると、その姿勢まで閉じてしまう。
私は、人生のゴールは死ぬときでいいと思っている。それまでは途中である。途中なら、まだ変われる。途中なら、別の山に登ることもできる。厳しい季節を通った木は、年輪が詰まり、根が深くなる。人も同じだ。過酷な経験は、そのときは苦しい。しかし後から見れば、自分を支える年輪になる。
チャンス・チェンジ・チャレンジ。どんな環境も、まず機会として捉える。変化には、自分の見方を変えて対応する。そして、怖くても一歩踏み出す。変化は、こちらの準備を待ってくれない。しかし、変化が来たときに、自分まで終わったと思う必要はない。会社が変わっても、業界が変わっても、人が困る場面はなくならない。誰かが困っているなら、そこにはまだ自分の出番がある。人生の頂上は、まだ見えなくていい。見えないからこそ、次の景色に向かって歩ける。
最後に残るのは、「どこの会社にいたか」じゃない。どんな場面で、どう動いたかだ。
← スクロール / 矢印キーで読み進む
