星座出版星座へ ↗13分で読めます
青木 匡光
東京都
人間関係の達人

「ヒューマン・ハーバー」を開いた人。ギブ・アンド・ギブで育てる、人間財産の作法。人生は、自分で面白くする。

第一章
思い立ったら、やってみる

人生がつまらないのは、才能がないからではない。思い立ったときに立たないからだ。「いつかやる」と言う人は多い。「そのうち会いに行く」と言う人も多い。しかし、そのうちは、たいてい来ない。山のほうから人間に近づいてくることはない。富士山に登りたいなら、自分に合った登り口を探して、汗をかきながら登るしかないのである。

私は、人間はもっと自分の人生を惜しんでいいと思っている。このまま生きてはもったいない。そう思った瞬間に、人生のエンジンがかかる。まだ若いから何も持っていない、と言う人がいる。逆である。若いからこそ、まだ余白がある。肩書も実績もないなら、まず動けばいい。会いたい人に会いに行く。知らない場所へ出かけてみる。異質なものに触れてみる。人生は、考えているだけでは変わらない。千の理屈よりも一の実行だ。

少しでも行動すると、予期せぬ人に会う。予期せぬ言葉に出会う。予期せぬ恥をかく。その恥が、あとで自分の血肉になる。今の若い人は、失敗を見せないことにずいぶん気を使っているように見える。格好悪いことをしたくない。変な人だと思われたくない。その気持ちはわかる。だが、格好悪さを避けてばかりいると、人生はいつまでも他人の採点用紙の上で終わってしまう。恥をかくことは、負けではない。恥をかいたあとに、どう立ち上がるかで、人間の味が決まるのである。

私は、人間関係を難しく考えすぎる必要はないと思っている。まず一歩を踏み出す。うまく話そうとしなくていい。うまく見せようとしなくていい。思い立ったときに立つ。そこからしか、あなたの人生の舞台は動き出さない。

第二章
人脈じゃない、人間財産だ

人脈という言葉は、少し誤解されている。偉い人を知っていること。名刺をたくさん持っていること。何かあったら利用できる相手がいること。そう考えるなら、それは人脈ではなく、ただの打算である。私の言う人脈は、人間財産である。財産といっても、財布の中にしまっておくものではない。人間財産とは、互いの持ち味を認め、信頼と尊敬が底流にあり、会えば明日への意欲が湧いてくる相手のことだ。

名酒は、一晩でできない。人間関係も同じである。発酵時間がいる。こちらが急に近づいて、急に得をしようとすれば、相手はすぐに警戒する。知識や情報を得るためだけに人を見るなら、相手を便利屋にしているだけだ。そんな関係は、利用価値が切れたところで縁も切れる。では、どうすれば人間財産は育つのか。私は、相手の中にある可能性を信じることから始まると思っている。人はだれでも、まだ発揮されていない力を持っている。だから、こちらが相手の出番をつくる。話を聞く。持ち味を見つける。小さな舞台を用意する。

ここで大事なのは、相手を所有しないことである。友人を自分の勲章にしてはいけない。人間財産は、自分を大きく見せるための飾りではない。互いに明日へ進むための燃料である。若い人は、フォロワーの数やグループの空気に苦しむことがあるかもしれない。しかし、本当に大事なのは数ではない。あなたが本気で困ったとき、声をかけられる人がいるか。あなたが誰かのために、すぐ一歩動けるか。その一人、その一歩が、人間財産の始まりである。

そして、人間財産を育てるには、ムダを恐れてはいけない。すぐ役に立つものばかり追いかける人は、どこか薄っぺらくなる。読書のムダ、寄り道のムダ、会ってみたけれど何も得られなかったように見える時間。そうしたものが、あとになって教養や勘になる。雑誌をめくる、知らない町を歩く、年の離れた人の話を聞く。そういう一見ムダな時間が、思いがけないところで人と人をつなぐ接着剤になる。

第三章
出会いは待つな、つくれ

出会いは、ただ待っているだけではやってこない。偶然を装っている出会いにも、どこかに仕掛けがある。私は長く、ヒューマン・ハーバーという港を開いてきた。港というのは、船をただ泊めておく場所ではない。人が寄港し、荷を下ろし、燃料を入れ、また出航していく場所だ。そこに来る人たちが、昨日の愚痴ではなく、今日から明日に向かって話せるようにする。私がしたかったのは、そういう人間の港をつくることだった。

場をつくるには、テーマがいる。一つの問題を決めて人を集める。肩書で上下をつけない。全員が講師であり、全員が聞き役である。互いに持っている知恵を惜しみなく出し合う。そうすると、初対面でもただの雑談では終わらない。相手の考え方、熱量、誠実さが見えてくる。そこから人は、知人ではなく、ブレーンになり、しん友になり、人間財産になっていく。

若い人に言いたい。どこにいても、場を受け取るだけの人になるな。自分で小さな場をつくってみることだ。五人でいい。二人でもいい。「この話をしたい」「この人の話を聞きたい」とテーマを持って集まれば、それはもう小さなハーバーである。会いたい人がいるなら、会える理由をつくる。相談したいなら、まず自分の考えを差し出す。「何かいい話はありませんか」と口を開けて待っているだけでは、いい情報は来ない。自分の問題意識を先に出すから、相手も本気で返してくれる。

仕掛けるとは、人を操作することではない。相手の出番が生まれる舞台を整えることだ。そこに誠意があれば、仕掛けはいやらしくならない。むしろ、人と人を温める火種になる。「そのうち会おう」は、便利な言葉だが危険でもある。そのうち、は来ないことがある。会いたいと思ったなら、その場で日を決める。相手がこちらを選んで連絡してくれた縁に、すぐ反応する。それだけで、関係は太くなる。

第四章
内気な人ほど自然体でいい

人づきあいが苦手な人は、自分にはコミュニケーション能力がないと思い込みがちだ。私は、そんなに気にすることはないと言いたい。つきあいベタな人ほど、まず肩の力を抜くことだ。私の好きな言葉に「眼横鼻直」がある。眼は横にあり、鼻はまっすぐにある。それが人間の顔の自然な形だ。人づきあいも同じだ。突っ張らず、斜めに構えず、あるがままの顔を生かすように相手に接すればいい。

年上の人、初めて会う人の前で緊張するのは当然である。しかし、相手を「先生」にしすぎると、自分が勝手に生徒になってしまう。対話はキャッチボールである。礼節を忘れず、しかし人間としては対等に向き合う。内気な人は、自分から話せないと悩む。しかし、話し上手である必要はない。むしろ、聞き上手になるほうがよい。相手の話をただ受け身で聞くのではなく、「私はこう思うが、あなたはどう思うか」と導入の道をつける。こちらの考えを少し差し出すと、相手は自分の言葉で話しやすくなる。

笑顔も大事だ。人との出会いで第一印象を左右するのは、理屈ではなく表情である。笑顔は生まれつきのものだけではない。稽古で身につく。最初はぎこちなくてもいい。気難しい顔で好意を求めても、それは虫がよすぎる。相手の顔を見るときも、真正面から目を射抜く必要はない。私は、相手の鼻のあたりに視線を置き、時折、目を合わせるくらいがよいと思っている。人づきあいは、この小さな間合いの連続だ。言葉よりも、間合いで人は安心する。

人づきあいは、立派な言葉で勝負するものではない。相手を見ているか。相手の都合を思っているか。話を切り上げるタイミングを感じているか。ほんの小さなふるまいに、その人の全人格が出る。だからこそ、内気な人にもできる。自然体で、ていねいに、相手の心の窓を少しずつ開けていけばいい。

第五章
先に与える人が信頼される

人間関係にそろばん勘定を持ち込むと、長続きしない。「これだけしてやったのだから、あれくらい返してもらわなければ割に合わない」。そう考えた瞬間に、相手にはこちらのいやらしさが伝わる。私は、ギブ・アンド・テイクではなく、ギブ・アンド・ギブでいこうと言ってきた。与えて、また与える。見返りを求めない。そんなことを言うと、損をする生き方のように聞こえるかもしれない。だが、人に何かを与えられることは、こちらにとっても喜びである。こちらが楽しくてやっているなら、重くならない。

よく「青木さんは欲がない」と言われることがある。とんでもない。私は欲が深い。自分の人生をサマにしたいという欲がある。目先の小さな得には興味がないだけだ。人を利用して得るものより、人に喜ばれて生まれる関係のほうが、はるかに大きい。ただし、ギブ・アンド・ギブは、何でも引き受けることではない。できないことは、できないと言う。それも親切である。断り方にも人柄が出る。「忙しいから無理だ」と切り捨てるのではなく、「声をかけてくれてありがとう」と受け止めた上で、自分には難しいと伝える。

紹介も同じだ。人を紹介することは、自分自身を紹介することでもある。むやみに人をつなげばいいわけではない。善意の悪魔になってはいけない。相手と相手の波長、必要、タイミングを見なければならない。与えるとは、相手の出番を考えることだ。断るとは、相手の時間を大切にすることだ。紹介するとは、二人の未来に責任を持つことだ。ギブ・アンド・ギブは、やさしさだけではできない。覚悟と勘がいる。だから面白いのである。

私は、持てる知恵と体力を惜しみなく与える人を、知的パトロンと呼びたい。昔のパトロンは金を出したかもしれないが、現代のパトロンは知恵を渡す。経験を渡す。励ましを渡す。若い人にとっても、これはできる。自分が知っている店を教える。読んでよかった本を渡す。悩んでいる友人の話を最後まで聞く。小さな親切を惜しまないことが、人生の黒字決算をつくる。

第六章
家族にも手間をかける

人づきあいというと、多くの人は外の人間関係を思い浮かべる。友人、仕事相手、先輩、仲間。しかし、いちばん身近な家族とのつきあいを粗末にして、外だけで人間関係を語るのは片手落ちである。家族は、近い。近いからこそ、放っておけばわかってくれると思い込む。言わなくても通じる。そんな甘えが、家族を遠ざける。近い人ほど、意識して場をつくらなければならない。

子育ても同じだ。子育ては、親が子どもを自分の思い通りに仕立てる事業ではない。子どもが自分で立つための、長い仕掛けである。自立心、読書心、遊び心、冒険心、協調心。そういうものは、説教だけでは育たない。親の背中、家庭の空気、失敗したときの受け止め方で育っていく。大人の役割は、子どもを所有しないことだ。子どもの人生を、親の未練の回収に使ってはいけない。子どもには子どもの舞台がある。大人の役割は、その舞台の幕を上げる準備を手伝うことだ。

若い人にとっては、これは親になる話だけではない。自分の家族とどう向き合うかという話でもある。親と話すのが面倒だ。家ではスマホを見ているほうが楽だ。そう思う気持ちもわかる。しかし、家族もまた一つの人間関係である。何もしなければ、関係はやせる。短い言葉でいい。今日あったことを話す。相手の話を最後まで聞く。感謝を言葉にする。小さな仕掛けで、家の空気は変わる。

感情を無視して、正しさだけで家族を動かそうとしても、うまくいかない。人は理屈で納得しても、感情で拒むことがある。相手が何を怖がっているのか、何を認めてほしいのか、どんな言葉なら受け取れるのか。そうした感情の手触りを読む力が、家庭にはいる。家庭こそ、人間観察のもっとも近い稽古場なのである。近い人にこそ、ていねいに接する。その人間脚力が、外の世界でも必ず生きる。

第七章
人生の主役は自分だ

世の中は、だれに対しても人生舞台を用意している。そこで主役を演じるのは、自分である。これは、はっきり自覚したほうがいい。自分の人生を、他人任せにしてはいけない。ただし、主役だからといって、ひとりでいいドラマはつくれない。舞台には相手役がいる。脇役がいる。自分の人生劇団に加わった人たちが、人生を支えてくれる人間財産になる。

だから私は、自分を主役にすることと、他人を大切にすることは矛盾しないと思っている。むしろ、自分の舞台を本気でよくしたいなら、相手役を粗末にできない。自分だけが目立とうとする舞台は、すぐに薄っぺらくなる。時には黒子に徹することも必要だ。裏方として場を整え、人の出番をつくり、ムードを支える。そのほうが、かえって人間としての品格が見えることがある。

自分が何者であるかを知ることも大事である。私は「自分白書」をつくることをすすめてきた。自分には何ができるのか。人からほめられたことは何か。肩書や名刺がなくなったとき、何が残るのか。そういう棚卸しをしないまま、他人の流行に乗っても、結局は自分を見失う。若い人は、自分探しという言葉をよく使うかもしれない。だが、自分は頭の中で探すだけでは見つからない。人に会い、行動し、失敗し、ほめられ、叱られ、誰かの役に立ったときに、少しずつ見えてくる。自分の持ち味は、人との摩擦の中で磨かれる。

そのためには、言行一致がいる。人は、あなたの立派な言葉だけを見ているわけではない。小さな約束を守るか。人のいないところでも同じふるまいをするか。都合が悪くなったとき、逃げずに向き合うか。そうした日常の行動が、その人を語り続ける。人生の達人とは、自分らしく人生を全うする人だ。自分の役を引き受ける。相手の役も尊重する。必要なときは舞台を仕掛け、必要なときは一歩下がる。それができる人は、年齢に関係なく、どこにいても存在感がある。

第八章
人生は、自分で面白くする

年を取ることは、終わることではない。役が変わることだ。私は、役者には定年がないという考え方が好きだ。若いころは主役を演じる。年齢を重ねたら脇役になる。さらに年を取れば、通行人でも、その人なりの存在感を出せる。どの役にも、その年齢でしか出せない味がある。人生も同じだ。若いときの華やかさだけが価値ではない。

アンチエイジングという言葉がある。しかし、私はむしろナイスエイジングでいいと思っている。死ぬことに抵抗するのではなく、生きているうちは、かっこよく、粋に、つやのある生き方をする。麗しく老いる。これは年寄りだけの話ではない。若いうちから、自分の年齢にふさわしい役を引き受ける稽古をしておくべきだ。人生には、ことばの杖がいる。苦しいとき、迷ったとき、自分を支えてくれるひと言があるかどうかで、人はずいぶん違ってくる。今日までのことは明日の準備、最後に残るものは人に与えたものしかない、死ぬまで生きる。そういう言葉が、私の杖になってきた。

孤独を恐れすぎる必要もない。この世で強い人間は、いつも一人で立てる人だと思う。一人で立てるからこそ、人とつながれる。ひとりの時間を楽しめない人は、人といる時間にもどこか依存が混じる。自分の好きなことを持つ。誰かがいなくても、今日を面白がれる。そういう人のところに、また人は寄ってくる。人生をピリオドで考えると、すぐに終わりが怖くなる。私は、コンマを打ち続ける生き方でいいと思っている。一区切りついたらコンマを打つ。そしてまた次へ行く。完成しなくてもいい。大事なのは、止まらないことだ。

君が若いなら、なおさら覚えておいてほしい。人生は、早く正解を出す競争ではない。人に会い、恥をかき、与え、断り、仕掛け、笑い、また歩く。そのたびにコンマを打てばいい。今日から明日に向かって話をしよう。過去を懐かしむだけでは、人生は動かない。君は、誰に会いに行くのか。誰の出番をつくるのか。どんな心の花を咲かせるのか。思い立ったときが、立つときだ。何も始めなければ、何も変わらない。けれど一歩踏み出せば、人間には明日が存在する。

最後に残るものは、人に与えたものしかない。

← スクロール / 矢印キーで読み進む